浦添の経塚の碑。妖怪退治と残された”もう一つの伝説”

浦添の経塚の碑。妖怪退治と残された”もう一つの伝説”

浦添の経塚に残る伝説は、沖縄では超有名です。
経文(きょうもん:お経の文章)を埋めた塚のことを”経塚(きょうづか)”といい、
そのまま地名になったのが浦添の経塚の由来だそうです。
まんまの地名のインパクトもあることから、わかりやすい伝説の場所ですね。
しかし、知名度は高いものの、実際に足を運んだことがなかったので出向いてみました(*‘∀‘)


経塚の周辺の様子

場所は大通りからすぐの場所で、那覇から出発した私たちの印象は、”意外に近い…”でした。
しかも、閑静な住宅地のそばにひっそりと。
ひっそりとしすぎて、通り過ぎてしまいましたが…とても穏やかに溶け込んでいます。


住所:沖縄県浦添市経塚1丁目

駐車場がないので、近隣住民に迷惑にならないよう、大急ぎで静かに見学させて頂きました。

 

経塚の碑

1522~1524年頃のお話です。
首里から浦添に通ずる道中の丘に、妖怪が出没し、人々を悩せていました。
それを退治するために、経文をかき石碑の下に埋めた人物が日秀上人(にっしゅうしょうにん)です。
尚円王統の尚真王時代(1477年~1526年)に活躍した真言宗の僧侶で、
沖縄のさまざまな場所で、その名が残されています。
その後、妖怪は現れることはありませんでした。

説明版と禁止事項

じつは地中に埋まっていた

”金剛嶺”と刻まれている経塚の碑は、台座に乗せられ小高い丘の上から見守るように備えられています。
今残されている石碑は1927年に改修されたもので、周辺はキレイに整備され、公園もあります。
しかし、驚くことに、この”金剛嶺”と刻まれている石碑。
じつは地中に埋まっていたそうです。

経塚の碑
それを掘り起こして、台座に乗せている。
ちょっとした衝撃的事実…。
不安を感じたのは私だけでしょうか…?!
今現在でも妖怪が出るという噂もありませんし、
今のところは…まだ効き目があるようですが(; ・`д・´)


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もう一つの経塚地震鎮撫伝説

※鎮撫(ちんぶ:反乱・暴動などをしずめて穏やかにすること。しずめなだめること。)

経塚にはもう一つ、うちなーんちゅ(沖縄の人)らしい!おもしろ伝説がありました。
首里の王様が、屋嘉(やか)という人物に、中城城に書状を届けるよう命令をしました。
その帰り道。
書状を届け、帰り道にある経塚で一休みすることにした屋嘉さん。
お酒を飲んで、そのまま深い眠りにつきました。

目を覚まして、大急ぎで首里に向かうと
首里では地震があったことで大騒ぎになっていました。
酒を飲んで爆睡していた屋嘉さん。

「公務中に酒飲んで爆睡してました。」

なんて言えるはずがありません(; ・`д・´)
地震があったことを知らない屋嘉さんを不思議に思った周囲の人々は問い詰めます。
屋嘉さんはつい、口走ってしまいます。

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「経塚は揺れなかったよ」

その一言が拡散したのがきっかけで、「チョーチカチカ」または「チョーチカ」と三度唱えると、
”地震が鎮まる”と広まったそうです。

お酒大好きのうちなーんちゅらしいエピソードが、なんとも微笑ましく思えました(-ω-)/
推測になりますが、このような伝説が残っているということは、
屋嘉さんは、後で爆睡していたことを白状したのでしょうね。(*’ω’*)

うちょうもう公園
公園は遊具や東屋などはありませんが、木陰が豊富にあるので気持ちよく過ごせそうです。

沖縄の遺跡や伝説は、不思議な話や悲しい、辛い歴史
が多く残されています。
沖縄戦で破壊されたり、見ることすらできないなど、
私たちに残されている物はほんの一部でしょう。
そんな中で経塚の伝説は妖怪退治に始まり、
人々を救った僧侶いわばヒーローが登場したり、
かたや人間味あふれる小さな嘘から広まった呪文まで、
わたし達うちなーんちゅでも詳しくは知らなかった民話を
知ることができて楽しい散歩になりました。
現地にある歴史や民話が記載された案内板を読みながら、
周辺の散策をすると新しい発見があるかもしれません。
ぜひ、貴重な沖縄の遺跡や伝説に触れるお散歩へお出かけください(-ω-)/